2020年9月6日日曜日

河原市用水

江戸時代に作られた農業用水です

河原市用水は江戸時代につくられた農業用灌漑(かんがい)設備です。水田で米を作るためには大量の水が必要で、昔から水争いが絶えませんでした。そこで森本川の水を北森本の河原市で取水し、森本から津幡までの広い地域の田んぼに供給するための用水、河原市用水が作られました。加賀藩からの援助もありました。

          瑞孤橋

 白狐伝説

工事を指揮したのは中橋村(現津幡町)十村(とむら=村長)の久左衛門でした。土木技術に詳しくまた政治力もあって加賀藩の役職についたこともある人だったようです。しかし取水口と最終の出口の間の落差が小さいため、難工事でした。ルートに悩んでいた時、波自加彌神社に祈ったところ、ある雪の降った夜に白い狐が歩いていく夢をみました。雪の上に残ったその足跡をたどって用水を掘ったところ、うまくいったという伝説があります。波自加彌神社の鳥居の前で用水を渡る石の橋はこの伝説にちなんで瑞孤(ずいこ=めでたいきつね)橋と名づけられました。

水源は医王山

用水の水源は森本川ですが、その森本川の水源は医王山です。森本川の洪水を防ぎ安定して水を供給するため、2001年に二俣に医王ダムが完成しました。河原市用水は現在、不動寺町に取水口があり、津幡町加賀爪で津幡川に放水、その間の約300ヘクタールに水を供給しています。昔は土の土手で子供が水遊びをしたりしましたが、今はコンクリートの壁になりました。遊歩道もつくられましたが、落ちると危険ですから注意してください。

 河原市用水土地改良区 

6班に管理事務所があります。ここでは全部の水門と取水口の集中管理をしています。各水門にはカメラがあって画面でモニターしながら遠隔操作で水門の開閉ができます。ただ、台風や大雨など緊急時には今井さんが現場まで行って対応するそうです。