2020年12月26日土曜日

桜山 2020年活動のまとめ


ジンダイアケボノ植樹 
昨2019年秋に椎などの常緑老木を伐採し、片づけた跡に新しく桜の苗を植えました。昨年はソメイヨシノを10本植えましたが、今年はジンダイアケボノを5本、ベニシダレを2本植えました。

ソメイヨシノは病気に弱いと言われているので、比較的強いと言われるジンダイアケボノを植えることにしました。花の時期も花の色もソメイヨシノとほぼ同じだそうです。

ベニシダレは色も形も違うので別の楽しみがあると思います。
これで桜の種類はソメイヨシノ、ジンダイアケボノ、ベニシダレ、吉野桜(シロヤマザクラ)、ヒガンザクラ、自生していた山桜の6種類となりました。
4月の桜山です。桜の大木はもともと自生していた山桜です。昨年春に植えたソメイヨシノはまだ本格的には咲きません。3月に植えたベニシダレはつぼみを持っていたのでチラホラと咲きました。桜山らしくなるにはあと数年はかかるでしょう。
ソメイヨシノの苗の1本は枯れました。理由はよくわかりません。また1本は多分カモシカが幹の皮を食べたので上部が枯れました。下から20センチくらいは残っていて枝もあるので、生きていると思いま

す。その他の苗はしっかり根付いているようです。

苗の世話
雑草や灌木はどんどん生えてくるので、草刈りは必須です。
また、アメリカシロヒトリの食害もあり、防除も必要になりました。


常緑老樹伐採

まだ椎の大樹が残っているので能登の樵さんにお願いして倒してもらいました。その後始末は今年も桜の会のメンバーでやりました。



桜若木の担当者

花園八幡桜の会のメンバーは総勢21人になりました。植えた苗は20本以上になったので、各自1本の桜の責任者になってもらいました。1本1本に銅製の名札をかけてあります。夏の暑い日差しが続くときなど、水をやってもらうなど愛情をもって育ててもらえたらとの思いです。



共同作業

11月には上り道の整備、清掃、急傾斜の危険な部分に杭を立ててトラロープを張りました。

若い人たちが率先して、楽しそうに作業していることが印象的でした。


2020年はコロナの大流行だったので、集会を開くことはできませんでしたが、屋外での活動は息抜きだったのかもしれません。



「圳流百年」と「1930・烏山頭」出版

2020年は八田與一技師の指揮する華南大圳着工から100年の記念すべき年でした。台湾ではいろいろの事業を計画していましたが、コロナ禍で日本から参加する行事はできませんでした。その中で出版事業では写真にある「圳流百年」と「1930・烏山頭」が台南市政府文化局から刊行されました。私は「1930・烏山頭」制作のための取材を受けた時、編集の方にお願いしてあったので昨日本が届きました。「圳流百年」の方は嘉南大圳建造の歴史、現在の運営状況と未来への挑戦を紹介する大人向けの本です。一方「1930・烏山頭」は嘉南平原の劣勢にも屈することなく、本来の自然と一体化した「和蝋描壁掛華南大圳工事模様」のような豊かで美しい景観を八田技師や先人たちが創りあげたことを、台湾の少年たちに紹介するもので、八田技師と伊東哲画伯と女神が語り合っている絵物語の形になっています。伊東哲画伯の「和蝋描壁掛華南大圳工事模様」がA3大の紙に印刷され別刷り添付されています。台湾の子供たちを含む多くの人たちに再度八田技師の偉業が共有されていくことを願っています。もちろん台湾の繫体字で書かれていて、私は正確には分かりませんが漢字から大体の意味は推定できます。台湾の方に内容を少し教えていただいて、多くの方に紹介していきたいと思います。
 

はなぞのやわた 6 謝恩詩碑

波自加彌神社へ多額の寄付をした兄弟への感謝の石碑

波自加彌神社参道の途中に大きな石碑があります。瑞孤橋で河原市用水を渡って社殿へのへの最初の長い石段を上ると踊り場があって次は左側へ上ります。その左側に大きな石碑が立っています。石碑には右の写真の文字が彫ってあります。だいたい次のような意味です。

「謝恩詩碑(感謝の詩碑) 北の海で事業に成功した二人の資産家が遠い故郷の神に感謝し、資産を惜しみなく使って大きな神社の社殿を築いた。こうして古くからの薑(はじかみ)神が蓮湖(河北潟)に鎮座している 昭和11年旧暦4月 村人に代わって野口、西尾の二人へ感謝を記す 犀東(国府犀東)」 


野口、西尾兄弟は西川花園公民館長の親戚
野口吉次郎氏と西尾長次郎氏の兄弟は二日市の出身で、明治の初めに北海道に渡り苦労の末に酒造りで大成功して資産家になりました。野口氏が神社社殿、西尾氏が参道の石段を寄付しました。二人の旧姓は西川で、花園公民館長の西川さんの曽祖父(ひいおじいさん)の弟です。右の写真は野口吉次郎氏、下の写真は石段の完成記念写真で、中央やや右寄りで白いひげで羽織袴の人物が西尾長次郎氏、一人おいてその左側が西尾氏夫人です。

国府犀東が大正の年号を考案

西尾氏夫人

西尾長次郎氏

この石碑の漢詩を作り、字を書いたのは国府犀東(こくぶさいとう)です。犀東は金沢出身の文化人で一時期宮内省に勤め、天皇の勅語を書きました。明治、大正、昭和、平成、令和と続いている年号のうち、「大正」を発案したのは犀東です。昭和40年刊田近彰男著「波自加彌神社誌」には犀東は二日市の出身と書いてあります。(田近彰男さんは波自加彌神社宮司の田近彰嗣さんの父君、この記事は波自加彌神社誌を参考に書いています)


2020年12月24日木曜日

はなぞのやわた 5 波自加彌神社

八幡山

 花園八幡と二日市の産土神

八幡山(やわたやま)

それぞれの土地の人々を守ってくれる神様のことを産土(うぶすな)神と言います。花園八幡町と二日市町の産土神をお祭りしているのが波自加彌神社です。今から1300年前の

 

奈良時代、養老2年に今の四坊高坂に創建されました。ところが源平合戦の時戦火で社殿が焼けてしまったので、八幡山(今、波自加彌神社のある山)の正八幡社に同居することになりました。そんなわけで波自加彌神社の祭神は護国正八幡神と波自加彌神の2神です。この山の頂上付近に波自加彌神社本殿があります。

はじかみ大祭

昔ある時、日照り続きで作物が育たず人々がたいそう困ったことがありました。その時波自加彌神社に雨ごいをしたところ神社の近くから霊水がこんこんと湧き出し、人々が救われました。お礼にお供えするものが何もなかったのですが、炎天下でも自生する生姜(しょうが、しょうがのことをはじかみともいいます)を見つけてこれをお供えし、お祭りしました。これが毎年615日の生姜祭り、はじかみ大祭の起源です。生姜を祭る神様は日本唯一で、生姜祭りには高知など生姜の産地の方や香辛料、漬物、料理などの業者が参詣してにぎわいます。

二日市は八幡の出村



むかしむかし、波自加彌神社では毎月二日に弓渡神事と言って馬上から弓矢で的を射る“やぶさめ”のような神事を行っていました。見物にたくさんの人が来たので、毎月二日に今の二日市あたりで市が立ったそうです。八幡の人が移り住むようになり町ができました。これが二日市の始まりです。二日市には河北潟に通じる川があり、陸路より船の方がたくさんの荷物や人を運べるので、二日市は便利な場所だったのです。また河北潟が少しずつ後退して二日市あたりでも田んぼが増えていったようです。波自加彌神社が八幡と二日市の産土神であるのはこんな歴史があるからだそうです。