旧花園村は河北潟に連なる平野と、越中との国境の低い山地にまたがっている。縄文海進のころは今の平地の部分は海であったと思われる。縄文時代には今の山地に人が住んでいた ので花園村にも遺跡が見つかっている。加賀朝日遺跡は現在の加賀朝日町の旧朝日小学校のある高台の下の畑から発見された縄文中期の遺跡である。
磨製石器と土器が多数発掘されたが、まだ発掘されていないところが残っているようだ。写真は花園公民館1999年刊「花園に生きる」から引用した。発掘には金沢市や森本町、森本中学校などと共に、波自加彌神社宮司の田近彰男さんが参加された。多分その関係で、一部が波自加彌神社に保管されているのだと思われる。
縄文海進が終わり、海が引いて現れた平地で弥生人が稲作を始めた。花園村には月影遺跡や花園八幡遺跡などの弥生時代の遺跡がある。
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