いよいよ立山登山です。現在では標高2450mの室堂平までバスで行きますから、雄山までだったらあと500m登ればいいだけです。明治のこのころは富山駅から全行程徒歩です。富山郊外で昼食を摂った後芦峅(あしくら)まで6里(24km)を歩きます。
七月二十五日
晴れ。この日は悶着が絶え間なかった。我々は旅行準備を整え出発しようとしたが、八田君は朝寝坊をして、しかも登山は止めたなどと言う。しかし木谷君が既に津幡駅で待ち合わせしていることで一件落着し、八田君は一足先に行って富山で待つことにした。ところが我々は汽車に乗り遅れ、十一時の汽車に乗って富山着は一時五十五分であった。富山着後四名同道し、徒歩で芦峅(あしくら)へ向かった。富山郊外で昼食をとったのは三時ころになっていた。これから芦峅まで六里といわれる。宿所は佐伯家であった。この日は祭礼の
日で、舞踊も行われていた。祭りと舞踊を見学して、十時半に就寝した。本日は近来稀に見るほど汗をかいた日であった。夜、仲語(ちゅうご、立山の神と人との仲立ちをする人の意味で、ガイド兼ポーター)を雇った。仲語は白米、草鞋などを買って翌日の準備をした。
芦峅(芦蔵)にある雄山神社 |
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