2019年11月6日水曜日

加賀と越中の国境の山

花園村の今
花園小学校から東方を見ています。低い山が富山県まで続いています。この山の少し開けたところにはいくつもの集落があります。山には薪や木炭、山芋や葛、キノコなど産物がたくさんあり暮らしが成り立っていました。縄文時代から人が住んでいたので、あちこちに遺跡が見つかっています。ほんの50年の間にエネルギーや材料の大変化があり、山の暮らしが成り立たなくなってきました。家が少なくなり、朝日小学校は廃校になりました。
平野部は農村地帯でしたが、これもごく一部の大規模農家が大型機械を使って集中的に生産しているだけです。大部分の農家は自分で生産することを止めています。
この辺りは戦国時代以前は田近郷(たぢかごう)でした。ここから富山へ向かう道を田近越えと言いました。今年(2019年)文化庁の「歴史の道百選」に小原越え、二俣越えと共に田近越えが選定されました。河北潟は昔もっと広く、この辺りまで船が来たので陸路田近越えで荷物を運んだ、越中までの交通の便の良いところであったのでしょう。浄土真宗の蓮如上人もこの道を通って布教に務めました。戦国時代の山城の跡が残っています。
こんな田近越えの山道を現代に生かす方法はないでしょうか。考えていきたいと思っています。

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