河北潟のコハクチョウ |
石川県河北郡花園村出身の八田與一、伊東哲の物語、そして現在の金沢市花園地区の里山を紹介します。ホームページ”寛太郎の家”を引き継いでいます。内容はContentsをご覧ください。 Yoichi Hatta and Satoshi Ito, born in this village, will be described.
2020年1月25日土曜日
2020年1月15日水曜日
2020年1月14日火曜日
2020年1月12日日曜日
波自加彌神社石碑
土地の産土神は波自加彌神社です。本殿へ登る一つ目の立派な石段を上った 踊り場の左側に石碑が立っています。これは波自加彌神社本殿、および石段を寄付した野口吉二郎および西尾長次郎氏への感謝の意を表わしたものです。
両氏は二日市の出身で北海道へ渡り苦心の末事業に成功し大きな財を成し、故郷の神社に多額の寄付をしたそうです。石碑の文面は下記の通りです。
謝恩詩碑
北溟治産両陶朱
千里故山神感孚
寿考頒貲祠字峻
古薑神鎮古蓮湖
昭和丙子正陽月 代郷人
謝恩于野口西尾二翁 犀東
北溟で始まる漢詩(七言絶句)の意味を金沢の三田良信先生(故人)に訳してもらいました。
北方の大海で産業を起こし、産を成した二人の資産家がいる。はるか遠く故郷を離れても神に感謝する志を忘れず、先祖を祭り祝うために、資産を惜しみなく使って高く大きな神社の社殿を築いた。こうして古からお祭りするはじかみの神は古来蓮湖(河北潟)に鎮まっておられるのだ。
昭和丙子正陽月は昭和11年陰暦4月のことです。
この詩文と書は国府犀東によるもので、氏は宮内省の漢詩人で、波自加彌神社の県社への昇格運動にもかなり力を発揮しました。国府犀東も二日市とつながりがあったようです。
両氏は二日市の出身で北海道へ渡り苦心の末事業に成功し大きな財を成し、故郷の神社に多額の寄付をしたそうです。石碑の文面は下記の通りです。
謝恩詩碑
北溟治産両陶朱
千里故山神感孚
寿考頒貲祠字峻
古薑神鎮古蓮湖
昭和丙子正陽月 代郷人
謝恩于野口西尾二翁 犀東
北溟で始まる漢詩(七言絶句)の意味を金沢の三田良信先生(故人)に訳してもらいました。
北方の大海で産業を起こし、産を成した二人の資産家がいる。はるか遠く故郷を離れても神に感謝する志を忘れず、先祖を祭り祝うために、資産を惜しみなく使って高く大きな神社の社殿を築いた。こうして古からお祭りするはじかみの神は古来蓮湖(河北潟)に鎮まっておられるのだ。
昭和丙子正陽月は昭和11年陰暦4月のことです。
この詩文と書は国府犀東によるもので、氏は宮内省の漢詩人で、波自加彌神社の県社への昇格運動にもかなり力を発揮しました。国府犀東も二日市とつながりがあったようです。
2020年1月10日金曜日
古時計
この八角の古時計は、夫が高校生の頃までは確かに動いていたそうだ。が、いつの間にか動かなくなってその柱にそのまま掛けられ、近くに次の時計、そのまた次の時計が掛けられたそうだ。
動きを止めてからかれこれ半世紀。また時を刻めないものだろうかと、帰郷後、金沢で一番古い時計屋に持ち込んでみた。残念ながら、中が煤で固まっていて修理不能と言われた。いかにも古民家のアンティーク時計のようなので、そのままインテリアとして飾っておくことにした。
しかし、頭の中の“古時計修理”というアンテナはまだ消えていなかったらしく、今年の春、地方紙の“古時計修理”の記事が目に留まった。金沢市野町にあるその工房主は自身のことを“匠”と称している。匠のこの八角古時計の診断はこうであった。機械全体が煤(囲炉裏の煤である)まみれである。一度修理されているが、ずさんな修理だったため強くねじを巻いた時に歯車ごと破損して動かなくなった。箱や扉の一部の欠損がいい加減に修理してある。
そう説明しつつ、匠の顔がほころんできた。匠の腕が鳴るらしく「こんなのを見るとやる気が出る」と、言うのだ。
時計は”New Heaven”と呼ばれるアメリカ製で明治の初めに入ってきたものだろうとのこと。明治10年頃の母屋新築の時期とも合致する。たぶんこの家の14代当主平右衛門が、新築記念に購入したのではないだろうか。
再び動き出したその時計は、鉄板を叩いたような音で時を告げる。ダダーン、ダダーンと。決してボンボンでもボーンボーンでもない。音絶えて50年。再びのその音は昔を運んで来るようだ。
ちなみにこの匠の修理の値段は、振り子時計(比較的新しいものでも)を単に解体掃除して3万円。この時計のように、やすりで煤をこすり取って掃除し、壊れた歯車を作りなおし、箱の一部も作って塗装して3万4千円。面白い値段ですね。
ネットを通じ、全国から修理注文を受けるその工房主の名は 匠 亜陀(たくみあだ)。その匠 亜陀、最後に曰く 「大事に使えばあと100年は動きます。あなた方はこのような時計を後世に伝える義務がありますよ」と。時計師の時計に対する愛着と情熱が伝わる言葉でした。(kantoramom2010年4月記)
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