2021年5月20日木曜日

はなぞのやわた 7 波自加彌神社の宝物

 


麦食い獅子 金沢市指定文化財

鎌倉時代の作で、現存する獅子頭では金沢最古だそうです。この獅子が夜な夜な神社近くの麦畑を食い荒らすので、金網を張って出られないようにしたというのが名前の由来です。昭和20年代くらいまでこのあたりでも麦を作っていました。麦も大事な農産物だったのです。





随神像 金沢市指定文化財

鎌倉時代の作で、もともとの姿は刀を帯び、弓を持ち背中に矢筒を背負っていたと思われます。お寺の仁王像と同じように左右一対で神様を守る警護の像です。

能登の春日という仏師が二対を作り、京都男山の石清水八幡宮へ奉納しようとしました。しかし船で内灘沖まで来たところで風が止まり、船が全く動かなくなりました。そこで一対を波自加彌神社へ奉納したところ風が吹き、京都へ無事に届けることができたという伝説があります。

誓入寺の釈迦像

二日市の誓入寺には右上の写真のような不思議な仏像があります。この仏像は平安時代の作で、もともと波自加彌神社にあったものを、明治時代に誓入寺に移したといわれています。江戸時代までは神社とお寺が一緒にあることはごく普通でした。明治維新の後、政府は欧米やロシアに対抗するため、天皇を中心とした強い国を目指します。神道はその精神的な中心であり、仏教は外来のものとされたため、それまで神社にあったお寺や仏像は壊されたり移動させられたりしました。廃仏毀釈ですね。

波自加彌神社にあったのは右下の写真のような真言宗の大日如来であったと思われます。しかし浄土真宗のお寺である誓入寺に移るときに、頭の上と両手の形を釈迦像のように作り替えたようです。





石清水八幡宮も平安時代の創建のころから明治維新までは真言宗のお寺と神社とが一体となっていました。八幡に石清水八幡宮の荘園があったという言い伝えがありますが、この像からも、また上の随神像の伝説からも石清水八幡宮と何かの関連があったと推定されます。 



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