「はなぞのやわた」のページでは特に花園八幡町内の皆さんに向けてこの町の地名や旧跡などを紹介していきます。その第1回目です。
なぜ花園八幡町という町名なのか
私たちの町名は花園八幡町です。4文字もある長い名前です。手紙や書類に住所を書くときに面倒だなと思いませんか。今町の今なんて1文字4画です。花園八幡の画数を数えてみてください。どうしてこんな町名になったかご存知ですか。
千年ほど昔、多分平安時代にこの辺りには京都の男山八幡宮(石清水八幡宮)の荘園があったと言われています。だから荘園の中にあった神社は八幡宮です。今、波自加彌神社のある山は八幡山といいますが、ここにその八幡宮があり、その宮下の集落は八幡村だったのです。
昔々波自加彌神社は今町から登る山の上の四坊高坂にありました。ところが源平合戦で社殿が焼けてしまい、やむなく八幡の八幡宮に間借りさせてもらうことになったのです。それ以後八幡山に八幡宮と波自加彌神社が同居しているのです。秋祭りには1班の伊東家の庭に祭旗を立てますが、「正八幡宮祭礼 文久二年(1862)八幡村若連中」と書いてあります。江戸時代までは八幡社でもあったのです。波自加彌神社の名前が平安時代の神社名簿に出ているので、この方が古いようだから波自加彌神社の方を名のることになったようです。
江戸時代の村は小さく、ここは八幡村だったのですが、明治になって新しい町村制ができ、今町や二日市、岸川、利屋町などとまとめて花園村になりました。地名は河北郡花園村字八幡でした。
昭和29(1954)年町村合併で河北郡森本町字八幡になりました。
昭和37(1962)年森本町が金沢市に編入合併となった際、馬場校下に八幡町があったため、花園八幡町になりました。
八幡のついた市町村は全国にあります。読み方はやはた、やわた、はちまんといろいろです。元々の意味は八つの旗(=幡)ですからやはたが正式のようですが、この辺りでは昔からやわたと言っていました。だからこの文のタイトルもはなぞのやわたとしました。
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