2020年12月26日土曜日

はなぞのやわた 6 謝恩詩碑

波自加彌神社へ多額の寄付をした兄弟への感謝の石碑

波自加彌神社参道の途中に大きな石碑があります。瑞孤橋で河原市用水を渡って社殿へのへの最初の長い石段を上ると踊り場があって次は左側へ上ります。その左側に大きな石碑が立っています。石碑には右の写真の文字が彫ってあります。だいたい次のような意味です。

「謝恩詩碑(感謝の詩碑) 北の海で事業に成功した二人の資産家が遠い故郷の神に感謝し、資産を惜しみなく使って大きな神社の社殿を築いた。こうして古くからの薑(はじかみ)神が蓮湖(河北潟)に鎮座している 昭和11年旧暦4月 村人に代わって野口、西尾の二人へ感謝を記す 犀東(国府犀東)」 


野口、西尾兄弟は西川花園公民館長の親戚
野口吉次郎氏と西尾長次郎氏の兄弟は二日市の出身で、明治の初めに北海道に渡り苦労の末に酒造りで大成功して資産家になりました。野口氏が神社社殿、西尾氏が参道の石段を寄付しました。二人の旧姓は西川で、花園公民館長の西川さんの曽祖父(ひいおじいさん)の弟です。右の写真は野口吉次郎氏、下の写真は石段の完成記念写真で、中央やや右寄りで白いひげで羽織袴の人物が西尾長次郎氏、一人おいてその左側が西尾氏夫人です。

国府犀東が大正の年号を考案

西尾氏夫人

西尾長次郎氏

この石碑の漢詩を作り、字を書いたのは国府犀東(こくぶさいとう)です。犀東は金沢出身の文化人で一時期宮内省に勤め、天皇の勅語を書きました。明治、大正、昭和、平成、令和と続いている年号のうち、「大正」を発案したのは犀東です。昭和40年刊田近彰男著「波自加彌神社誌」には犀東は二日市の出身と書いてあります。(田近彰男さんは波自加彌神社宮司の田近彰嗣さんの父君、この記事は波自加彌神社誌を参考に書いています)


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