野口吉次郎
二日市ト8番地西川善兵衛の四男で、安政3(1856)年7月6日生まれ。現在(大正)北海道小樽区稲穂町62番地において酒造業を営んでいる。氏は堅忍不抜剛毅の精神に富み、労を惜しまず、7歳で大根布の茶谷家の養子となった。4,5年で実家に戻り其の後いろいろと奉公に出た。その間に醤油の醸造法を習得し、24歳の時金沢市の野口家の養子となった。その後家業に失敗し財産を総て失い、31歳の冬に困難の中家族とともに北海道へ渡って滋賀県出身の呉服店石橋彦三郎に雇われた。困難と貧苦に耐えながら働き、主人に醤油醸造を提案して採用されて企業化し多大の利益を上げた。主人の信頼が厚く、遂に独立して醸造業を営み今日の境遇となりその資産は数百万円にも達するという。
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野口吉次郎氏 (ウイキペディアより) |
氏が石橋氏に雇われたとき、給料を受け取らず3年間の間、僅かに36銭の古単衣で勤めたという。石橋氏は常々「野口氏には善行善談甚だ多く、自分の手帳に書き留めただけでも36回もあった」と語っていた。これでも野口氏が如何に格勤精勤仕えたかが分かる。石橋氏が緑綬褒章を受けたのは主として野口氏の力によるものである。
野口氏の今日の醸造高3,200石、さらに旭川合資会社等関連酒造を合算すればその高7,000石であるという。金沢市彦三一番丁に広大な別邸を構えて、時折金沢に帰ることがあるという。
この文章は大正年間刊行の「花園村史」本村出身の名高き奮闘家 から採ったもので、現代語にしてあります。
このブログの「はなぞのやわた6 謝恩詩碑」の項に、野口氏が故郷の波自加彌神社に多額の寄付をしたことが載せてあります。