2023年2月27日月曜日

月影式土器

 

この土器は金沢市鞍月から出土した弥生時代末期の土器で、その首のあたりの特徴から月影式土器と呼ばれる形をしています。金沢市埋蔵文化財センターに展示されています。花園八幡から数百メータくらいしか離れていない月影集落でみつかった月影遺跡でこの形式の土器が最初に発見されたので「月影式土器」の名前を付けられました。

ところで、花園八幡遺跡から多数の土器が出土していますが、月影式土器は見つかっていないそうです。こんな近い集落なのに何故かと気になります。

実は月影式土器はかなり広範囲に分布していて、山陰地方がそのオリジンではないかというコメントもあります。月影式土器は月影周辺で作られたのではなく、どこかで作られ、月影に運ばれてきたものかもしれません。花園八幡遺跡は弥生時代から古墳、平安、鎌倉時代まで、続いていましたので、月影遺跡ができたころにも人々の活動があったはずです。花園八幡遺跡の弥生式土器はその近辺で制作されていたので、あまり月影式土器に対するニーズがなかったのかもしれません。

2023年2月25日土曜日

須恵器

 家の横の畑でこんなものを見つけました。金沢市埋蔵文化財センターでみてもらったところ、奈良時代ころの須恵器だそうです。隣の集落の今町の遺跡からも須恵器が見つかっています。この家は平地から少し谷へ入ったところにあります。平地は最近まで田んぼ(今は住宅地)でしたが、弥生時代には住居がありました。何度か洪水などがあった後、平地の部分は田んぼにして、住居は谷へ移したのかもしれません。


加賀朝日縄文遺跡

旧花園村は河北潟に連なる平野と、越中との国境の低い山地にまたがっている。縄文海進のころは今の平地の部分は海であったと思われる。縄文時代には今の山地に人が住んでいた ので花園村にも遺跡が見つかっている。加賀朝日遺跡は現在の加賀朝日町の旧朝日小学校のある高台の下の畑から発見された縄文中期の遺跡である。

磨製石器と土器が多数発掘されたが、まだ発掘されていないところが残っているようだ。

写真は花園公民館1999年刊「花園に生きる」から引用した。発掘には金沢市や森本町、森本中学校などと共に、波自加彌神社宮司の田近彰男さんが参加された。多分その関係で、一部が波自加彌神社に保管されているのだと思われる。

縄文海進が終わり、海が引いて現れた平地で弥生人が稲作を始めた。花園村には月影遺跡や花園八幡遺跡などの弥生時代の遺跡がある。

2022年11月23日水曜日

初めての花見

 花園八幡の山に桜を植え始めて初めての花見です。まだ、若木にチラホラ咲いている程度なので有志数名での花見でした。後方の大きな桜は、もともとこの山に自生していた山桜です。





若いながらベニシダレはきれいな花を咲かせていました。

2022年3月14日月曜日

桜山2022年

記念撮影
ヒガンザクラの苗を植える
 3月13日、ようやく雪が消えて山の仕事ができるようになりました。昨年秋に切り倒した楢などの老木の片づけをしました。太い幹部分は薪に、中ぐらいはシイタケの榾木に、細く真っすぐな部分は杭の材料にします。拓いた部分にヒガンザクラの苗を植えました。

植え始めてまだ3年ですが、チラホラ咲くのではと期待しています。花見ができたらいいですね。


片付け作業



2022年3月5日土曜日

はなぞのやわた 8 源平の戦とやわた

令和4年のNHK大河ドラマは「鎌倉殿の13人」で、源平の戦が出てきます。八幡には源平の戦に関する言い伝えが三つあります。

①波自加彌神社(正八幡宮) ②太郎兵衛谷内(たろべやち) ③昔の波自加彌神社   ④八幡四坊高坂道(推定)

1.     源氏の木曽義仲が波自加彌神社に戦勝を祈願して「中脂矢根」を奉納、戦いに勝利した後「正八幡宮」の額を奉納した。(はじかみ通信より)

中脂矢根
(はじかみ通信より)
矢根とは矢じりの事

2.     平家の武将であった太郎兵衛は戦に負けて、太郎兵衛谷内に隠れ住んだ。後に今の二日市に移って二日市の街をはじめた。現在は南森本にお住いの建具屋の長澤さんは太郎兵衛の子孫だそうです。

3.     波自加彌神社は奈良時代の創建で、初め四坊高坂にあったが源平の戦で社殿が焼け、八幡の正八幡宮に避難した。現在も八幡山に正八幡と波自加彌神が同居している。

 ④昔は四坊高坂と八幡の間には道があり、往来できたそうです。

木曽義仲が正八幡宮の額を奉納したということは、義仲が祈願したのは四坊高坂の波自加彌神社ではなく八幡の正八幡宮の方だったのかもしれませんね。

2022年2月14日月曜日

「1930・台湾烏山頭」出版

 台湾の台南市から「1930・台湾烏山頭」という本が刊行されました。

去る2020年は金沢市出身の土木技術者八田與一が、日本統治下の台湾で嘉南大圳という大規模な灌漑施設建設に着工して100年になります。これを記念して台南市ではいくつかの事業を行いましたが、その一つとして青少年向けに「1930・烏山頭」という本を出版しました。画家伊東哲は八田與一に招かれ、嘉南大圳建設記録画を作成しました。「1930・烏山頭」はその工事の様子や、若い八田與一と伊東哲が立ち向かった困難や成長を分かりやすく絵物語にしたものです。

表紙 左から八田與一、水の女神、伊東哲
伊東哲についての多くの資料が伊東家に残されていました。中でも、2012年に発見された「蝋描壁掛嘉南大圳工事模様」は伊東哲が工事や人々の様子、台南の風物をろうけつ染めで俯瞰的に描いたものです。台湾の人たちはこの壁掛けにとても感動と親しみを覚えたようで、多くの反響がありました。台南市はこの絵を用いて、歩きながら工事の世界に入り込んで当時を体験できるという教育施設を開設し、本年115日より公開しています。また台南市は「1930・烏山頭」の日本語版「1930・台湾烏山頭」を出版し金沢市の公立学校へ寄贈しました。

この本には伊東兄弟と八田家の兄弟の交流、八田與一の言葉、この壁掛けの発見の経緯も書かれています。本文絵物語の作者謝金魚さんの伊東家訪問記なども載っています。
激動の時代、苦難の人生を送った伊東哲の画業全体についても紹介しています。