かつて宮腰港があった |
下記の小文は花園小学校120周年記念誌の中にある、」善照坊についての、」記述である。
「善照坊 現金沢市長土塀2丁目
吉藤山と号し、浄土真宗本願寺派。本尊は阿弥陀如来。二尊仏と通称される。
寺伝によれば、開祖円乗はもと河北郡八幡村の真言僧で浄経坊と号したが、文明年中(1469~87)蓮如の北國巡錫の際真宗に改宗し、石川郡吉藤村に居を定めたという。
明応7年(1497)4月28日、同軍大野庄吉藤専光寺門徒証賢が、蓮如から親鸞蓮如連座像を下付されており(専光寺文書)、当寺専光寺の門徒であったことがうかがえる。享禄の錯乱において同寺とともに加州三カ寺派に属して敗北し、門徒は本願寺の直参になったものと思われる。
「天文日記」によれば、天文12年(1543)6月14日直参「前善照坊下」の河北郡浅野谷(現津幡町浅谷)の祐道が本願寺の御堂当番(30日番衆)として上番しており、続いて同16年12月18日には直参衆「前善照坊下」石川郡赤土の正誓、また同21年7月17日には加州直参衆「前善照坊下」河北郡二日市の道念が上番している。」
0 件のコメント:
コメントを投稿