2020年1月14日火曜日

シジュウカラ great tit

里山を題材としたkantoramomの作品です。
シジュウカラ great tit

2020年1月12日日曜日

波自加彌神社石碑

土地の産土神は波自加彌神社です。本殿へ登る一つ目の立派な石段を上った 踊り場の左側に石碑が立っています。これは波自加彌神社本殿、および石段を寄付した野口吉二郎および西尾長次郎氏への感謝の意を表わしたものです。
両氏は二日市の出身で北海道へ渡り苦心の末事業に成功し大きな財を成し、故郷の神社に多額の寄付をしたそうです。石碑の文面は下記の通りです。
謝恩詩碑
北溟治産両陶朱
千里故山神感孚
寿考頒貲祠字峻
古薑神鎮古蓮湖
昭和丙子正陽月 代郷人
謝恩于野口西尾二翁 犀東
北溟で始まる漢詩(七言絶句)の意味を金沢の三田良信先生(故人)に訳してもらいました。
北方の大海で産業を起こし、産を成した二人の資産家がいる。はるか遠く故郷を離れても神に感謝する志を忘れず、先祖を祭り祝うために、資産を惜しみなく使って高く大きな神社の社殿を築いた。こうして古からお祭りするはじかみの神は古来蓮湖(河北潟)に鎮まっておられるのだ。
昭和丙子正陽月は昭和11年陰暦4月のことです。
この詩文と書は国府犀東によるもので、氏は宮内省の漢詩人で、波自加彌神社の県社への昇格運動にもかなり力を発揮しました。国府犀東も二日市とつながりがあったようです。

2020年1月10日金曜日

古時計


この八角の古時計は、夫が高校生の頃までは確かに動いていたそうだ。が、いつの間にか動かなくなってその柱にそのまま掛けられ、近くに次の時計、そのまた次の時計が掛けられたそうだ。
 動きを止めてからかれこれ半世紀。また時を刻めないものだろうかと、帰郷後、金沢で一番古い時計屋に持ち込んでみた。残念ながら、中が煤で固まっていて修理不能と言われた。いかにも古民家のアンティーク時計のようなので、そのままインテリアとして飾っておくことにした。
 しかし、頭の中の“古時計修理”というアンテナはまだ消えていなかったらしく、今年の春、地方紙の“古時計修理”の記事が目に留まった。金沢市野町にあるその工房主は自身のことを“匠”と称している。匠のこの八角古時計の診断はこうであった。機械全体が煤(囲炉裏の煤である)まみれである。一度修理されているが、ずさんな修理だったため強くねじを巻いた時に歯車ごと破損して動かなくなった。箱や扉の一部の欠損がいい加減に修理してある。
 そう説明しつつ、匠の顔がほころんできた。匠の腕が鳴るらしく「こんなのを見るとやる気が出る」と、言うのだ。
 時計は”New Heaven”と呼ばれるアメリカ製で明治の初めに入ってきたものだろうとのこと。明治10年頃の母屋新築の時期とも合致する。たぶんこの家の14代当主平右衛門が、新築記念に購入したのではないだろうか。
 再び動き出したその時計は、鉄板を叩いたような音で時を告げる。ダダーン、ダダーンと。決してボンボンでもボーンボーンでもない。音絶えて50年。再びのその音は昔を運んで来るようだ。
 ちなみにこの匠の修理の値段は、振り子時計(比較的新しいものでも)を単に解体掃除して3万円。この時計のように、やすりで煤をこすり取って掃除し、壊れた歯車を作りなおし、箱の一部も作って塗装して3万4千円。面白い値段ですね。
 ネットを通じ、全国から修理注文を受けるその工房主の名は 匠 亜陀(たくみあだ)。その匠 亜陀、最後に曰く 「大事に使えばあと100年は動きます。あなた方はこのような時計を後世に伝える義務がありますよ」と。時計師の時計に対する愛着と情熱が伝わる言葉でした。(kantoramom2010年4月記)

2019年11月28日木曜日

桜山開拓 2019年活動のまとめ

花園八幡桜の会発足
花園八幡町は河北潟の東の平野と加越国境の低い連山の境目にあります。昔は柿、栗、花木、薪炭など利用されていましたが、最近は放置され荒れた竹山になっていました。2019年の地区新年会で住居地のすぐ傍の荒山を住民の憩いの場所にしたいと提案したところ、参加してくれる仲間が15人ほど集まり「花園八幡桜の会」が発足しました。

桜山
この会で桜山と言っているのは、もともとは花園八幡の古くからの住民の墓地だった山です。急勾配があり、お盆の墓参りが大変なので、2018年に大部分の家が墓を低いところへ移しました。墓地は共有地なのでこの部分を活用し、その下方の私有地については地主の了解を得てこれも含め、竹を切り桜を植えることにしました。竹は公的な補助をお願いして2018年度の予算で伐ってもらいました。
山が階段状になっているのは昔畑として利用されていた名残かもしれません。そのヘリの部分の竹は2mほどの高さで杭状に切ってあります。伐り倒した竹はこの杭に寄せて積み上げてあります。平らな部分はあまりありませんが、できるだけ開いて桜を植える場所を作っていきます。


桜植樹
3月には最初の桜を植えました。やっぱり最初に植えるならソメイヨシノですね。10本を植えました。そのほか吉野桜(シロヤマザクラ)4本、別の場所にあったヒガンザクラを2本ほど移植しました。
石川県は県民から森林環境税を毎年500円徴収していますが、その基金を使ってこのようなボランティア活動に補助を出す制度があります。手続きはかなり厄介ですが、これに応募したところ補助をいただけることになりました。

補助金で桜の苗、鋸、鎌などの道具、チェーンソーなどの備品を買うことができます。左の写真は補助金で買ったものです。
竹を切った山には雑草や灌木、笹などがどんどん生えてきます。桜を育てるためには雑草などを取り除き、日当りをよくしてやらなければいけません。8月にはみんなで草刈りをしました。
老木伐採
竹を伐採した後の山には椎などの老木が残っており、桜を植える場所を確保するためにも椎を倒す必要があります。桜を傷つけないようにしながら大きな木を倒すには技術が必要で、能登の樵さんにお願いしました。
片付け
樵さんにお願いしたのは倒すところまでですので、後始末は桜の会のみんなでやりました。仲間の中にチェーンソーの扱いに慣れた人もいて、玉切りにしてもらいました。玉切りを薪用にするため運ぶ人、枝などを片付ける人に手分けして植樹用のスペースを作りました。次の春に新しい苗を植えます。









桜山老木伐採

中央の木の上に登ってワイヤーをセット
桜山はもともと広葉樹の山でした。放置されている間に孟宗竹が席捲したのですが、山の上の方で椎とナラが少し残りました。世代交代のため、老木を倒して苗を植えるためのスペースを確保しました。能登の樵さんに来ていただいて、10本ほどを倒しました。一人が木に登ってワイヤーをかけ、もう一方の端を上の方の切株にかけてチリホールをセットします。木を降りてチリホールで引っ張る人とタイミングを合わせながら、根元の辺りをチェーンソーで切ります。チェーンソーでは完全に切り離さず、ワイヤーで引いて倒す方が倒れる方向や安全性に優れているようです。
チリホールを切株にかける
 

倒した老木

2019年11月6日水曜日

加賀と越中の国境の山

花園村の今
花園小学校から東方を見ています。低い山が富山県まで続いています。この山の少し開けたところにはいくつもの集落があります。山には薪や木炭、山芋や葛、キノコなど産物がたくさんあり暮らしが成り立っていました。縄文時代から人が住んでいたので、あちこちに遺跡が見つかっています。ほんの50年の間にエネルギーや材料の大変化があり、山の暮らしが成り立たなくなってきました。家が少なくなり、朝日小学校は廃校になりました。
平野部は農村地帯でしたが、これもごく一部の大規模農家が大型機械を使って集中的に生産しているだけです。大部分の農家は自分で生産することを止めています。
この辺りは戦国時代以前は田近郷(たぢかごう)でした。ここから富山へ向かう道を田近越えと言いました。今年(2019年)文化庁の「歴史の道百選」に小原越え、二俣越えと共に田近越えが選定されました。河北潟は昔もっと広く、この辺りまで船が来たので陸路田近越えで荷物を運んだ、越中までの交通の便の良いところであったのでしょう。浄土真宗の蓮如上人もこの道を通って布教に務めました。戦国時代の山城の跡が残っています。
こんな田近越えの山道を現代に生かす方法はないでしょうか。考えていきたいと思っています。

2019年11月1日金曜日

波自加彌神社の秋祭り

毎年10月第1日曜日は秋祭りです。
獅子舞
神社の神輿が着た後、獅子と棒振りが来て獅子舞を披露します。秋の収穫を土地の神様に感謝したものだったのでしょう。神輿の担ぎ手が不足して今年から台車に載せられての巡行になりました。
獅子舞の演者やお囃子、神輿についてくる巫女さんには町内の団地から応募してくる若い人がいるので、こちらは後継者不足の問題はないようです。