2023年3月19日日曜日

波自加彌神社の創建(3)

 

黄金清水 四坊高坂の波自加彌神社
創建の地とされる

波自加彌神社はもともと四坊高坂にあったが、源平の戦の際に焼け出され、現在の花園八幡後にあった正八幡宮に庇を借りた。明治の始めのころに四坊高坂に田近村役場が置かれた。田近村は後に他の村と合わせて花園村になるが、このあたりの中心的な集落であった。縄文海進のころは加賀朝日やその周辺の山地のところどころに縄文の遺跡が見つかっているので、現在「やま」と呼ばれる地域に多くの人が住んでいたようだ。縄文時代の信仰の事はよく分かってはいないが、自然の猛威や自然の恵みの中で暮らしていくなかで、人知を超えたものに祈っていたに違いない。日本の神道は土着の宗教が仏教の影響を強く受けて出来上がってきたらしい。波自加彌神社の成立については記録がないが、多分縄文のころから「やま」の人達の中心として長く受け継がれてきたと思われる。山は木の実、畑の産物、獣などの食料や燃料、日常の種々の素材などの生産が多く、人々の生活を支えたので、多くの人が住んでいた。平安時代に書かれた延喜式に波自加彌神社が記載されているのはこのような経緯であった。

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