私の夫の祖父は明治20年生まれで、昭和34年夫が高校生の時亡くなった。私は直接会ったことはないが、日記や書き残したものを通しとても親しみを覚えている。
若いころから俳句を楽しんだようで、折々の句が日記帳などに記されている。仲間との句会もあったのか、交換したと思われる俳句仲間の短冊が、手製の短冊挟みに今も残されている。祖父の俳号は樵堂である。里山の主にふさわしい号だ。
写真はその中の一句。最初は読むことすらできない。わずかに読める“御大典”の意味も最初はピンとこなかった。
私の母は89歳だが、だんだん昔語りが多くなってきた。ある時の昔話はこうだった。
「御大典の日にはね、じいちゃんが私にも花笠を作ってくれて嬉しかった。まだ6才かそこらだったけどね。色の花紙で花を折るのよ。角を鉛筆に巻きつけてくるくるやると、きれいな花びらになってね。花笠かぶって皆で神社に集まって踊ってお祝いしたよ」
夫の祖父と私の母が経験した“御大典”とは、昭和天皇の即位のお祝いだったのだ。祖父40才、母6才の時の同じ日の体験談だ。母は花笠が印象に残っているが、祖父はその感動を俳句に残した。夫とともに“くずし字用例辞典”や辞書をひっくり返しながら、ああでもないこうでもないとようやく読んだ句はこうだった。
『御大典の日 幾久の日や六合震う万歳楽』
“幾久”は今でも「幾久しく」などおめでたい日に使う言葉だ。“六合”はリクゴウと読み、天地と四方つまり宇宙全体という意味。“万歳楽”は即位礼など賀宴に舞われる雅楽。新しい天皇の御代になり宇宙が祝いの舞で震えている、という意味の喜びの句だったのだ。平素から素直な句を作った祖父だが、その素直な喜びがよく表われているようだ。
それからしばらくして太平洋戦争がはじまり敗戦をはさんで価値観の大転回が衆人を覆う。天皇はもはや現人神ではなく“人間”となった。
平成天皇の即位の時は、もう“御大典”という言葉は使われなかった。単に即位の礼といったと思う。めでたさも“六合震う”程のものではなく、物珍しさのほうが勝っていた。
いつも世の中は刻々と変わっていますね。(2010年4月kantoramom記)
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