八田與一 |
與一は1932年昭和7年にロータリークラブに加入し、入会の挨拶をしました。その時の挨拶の内容が残っています。台湾在住の文筆家片倉佳史氏が発見されたもので、非常に貴重なものと思われます。片倉佳史氏に感謝し、ここに引用すます。
ロータリークラブでの八田與一氏挨拶
1932年昭和7年1月12日
私は本夕入会して間も無く非常に愉快な家族会に列席し得ましたことを喜んで居りました。私はこれ迄嘉南大圳の計画をしまして、烏山頭で堰堤工事に従事して居りました。土木工事でやり損った場合には貯水池の決壊程災害の大なるものはありません。斯かる大責任を負わされたものは非常に研究し、且つ考えて、結局人生の問題に迄も立ち入りました。
人間は何の為に生まれたか、何を為すべきか、動物は子孫の繁殖のため生まれるが、併し人間は夫婦より創り、而も子孫の繁栄を計るには他人即ち社会の繁栄を計らねばなりません。私は真宗の家庭で育ったが、仏教で云ふ自利利他は此のことである事がわかったように思います。
自利、利他がわかり、差別無差別が真実わかった人が仏であると信ずるようになりました。私は未だロータリー倶楽部の目的は充分わからないが色々な話を承り、ロータリーの精神が自利利他にあるように考えさせられまして、入会させていただきました。
與一は、失敗すれば大災害を起こすかもしれない大工事を大きな責任を感じつつ行ったと言っています。そしてその背景に仏教の自利利他の精神を持って社会の繁栄を計ろうと考えたと述べています。ここでは詳しくは述べていないが、先の手紙に書かれている「一切平等極楽世界を目指す」という内容を踏まえながら話していると思われます。
嘉南大圳の当初計画は、7万ヘクタールの土地を灌漑する案でした。しかし、與一は嘉南平原全体の15万ヘクタール灌漑する案に変更することを提案し、それが最終的に採用されました。嘉南平原で利用できる水の量は、15万ヘクタール全部が同時に稲作をするには足りません。そこで與一は、「三年輪作給水法」を導入しました。農家はある年は稲作を、次の二年は甘蔗やその他の雑作物を耕作し4年目にまた稲作をする。それによって、嘉南平原のすべての農民が等しく恩恵を受けることができました。これも一切平等極楽世界を目指す與一の信念を実現したものではないでしょうか。
與一は仏教に基づき、差別や格差のない世界を目指したいと考えた。これを信念の基本に据えることにより、揺るぎない心でプロジェクトを指揮することができたのだと考えられます。
八田與一の没後七十年を過ぎているが今でも與一は多くの人々に敬愛されている。それは嘉南大圳による豊かな実りの故であるが、その背景にある與一のこのような精神が人々に伝わっているためでもあると思われる。
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