2019年3月17日日曜日

八田與一の信条 1



台湾総督府正装の八田與一
テキスト ボックス: 八田與一から伊東平盛の手紙(昭和七年頃)八田與一が公共埤圳嘉南大圳組合技師を拝命し、工事に取り掛かったのは1920(大正9)年でした。嘉南大圳の総工費5,300万円は現在の価値で約4千億円、その規模は当時の国家予算の3%に相当しました。関係する農民は数十万人にも上る国家的大プロジェクトでした。
土木工事には事故の危険があり、大規模な水利工事に失敗すれば災害の恐れもあります。極めて大きな責任が、34才の青年技術者の肩にずっしりとのしかかわけです。八田與一はどんな思いで巨大プロジェクトに臨んだのでしょうか。
與一の思いを推察する手がかりとして、三つの資料を紹介します。一つは親友伊東平盛の1926(大正15)年の日記に書かれている與一の言葉です(平盛は筆者の祖父)。一つは與一から平盛にあてた1932(昭和7)年ごろと思われる手紙です。さらにもう一つは與一が1932年に台湾のロータリークラブに入会した際の挨拶文です。それぞれを紹介しながら、與一の覚悟について考えてみたいと思います。
この項は「回想の八田與一」北國新聞社2016年刊に筆者が寄せた寄稿「釈迦を語った八田與一」を改稿して載せます。

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