2019年3月20日水曜日

一切平等極楽世界を目指す 八田與一の信条3

與一から平盛宛ての手紙


 昭和七年頃與一から平盛へ送られた手紙です。この手紙では一切平等極楽世界を目指すという與一の信念の内容が語られています。
 
(前略)僧侶は差別の中に無差別を意識すると申しますが説明には止むを得ぬからあきらめる様申しますが之は他力或いは○き程度の自力派に適せん言葉にして唯我独尊性の人間には通用しませぬ思(念)うことできざるはない一切平等極楽界でせう之は余り他言はできない言葉です釈迦すら一枝の花を以てまかかように説明したではありませぬか。我々の到達すべき山頂は明白です其の達すべき道を行くにしかずです。道には差別の世の無差別を意得し遅々として進む他力方法もあり七度生変りて希望を達せんとする自力方法もあり釈尊自身所持せる直にやらんとする方法もありませう。


道は何か。道は山頂と云う理想を以て進めば必ず通ずるものです。然るに現在の政治家に此の理想あるものがありませうか彼らの理想は現在主義で自利のみではありませんか。選挙民に第一に教うるは人間の理想即ち極楽世界ではないでしょうか。利他ではないでしょうか。一般民衆(愚民)には真宗の教えの如きものではないでせうか。理想に進む悟道達人に反対せない事です。自由に手腕を奮はせん事です此の自力他力の問題では一度夜間貴下と面談せなければ説明困難です理想家に教うるには物心一致して進む事です何れが先に進みましても不平があり困乱がありませう。之がわからぬと井上蔵相露国皇帝となり。レーニン。となりませう。
非常時々々と国民は尻を叩かれ何にもしらぬで尻を叩かれたる馬の如く飛び上がりて吠えて居るのではありませんか。
露国の「スターリン」と云うのはレーニン以上の偉人の様に思います初め教育に重きを置き心を教え次産業十ケ年計画で物を居き物心一致を弁え居るものと云うべきです。
但し産業十ケ年計画位の物の進歩では未だ共産主義と云う心には程遠しです世界の科学は其程進歩して居りませぬ。国家社会主義位迄の進歩です。唯資本主義。資本的自由主義は科学にずっと遅れて居ります。機械と云う物の進歩のため物余りて食う能わずと云う世界を造りました。
平盛様      八田



分かりにくい文章ですので、筆者の解釈を入れて読んでみます。

真宗の僧侶は阿弥陀如来の力すなわち他力によって、皆等しく救われるのだから、現世の差別についてはあきらめるように説いています。しかしこれは他力の人や一部の自力の人に通用する言葉で、自分のような唯我独尊の釈尊を信じている人には通用しません。思うことが何でもできる一切平等極楽世界を目指すべきでしょう。
こんなことを言うと危険思想の持ち主と思われるかもしれないので、あまり他人に言うことはできません。釈尊が何も言わずに、一枝の花を弟子の摩訶迦葉(まかかしょう、まかかようとも)に示したとき、摩訶迦葉は釈尊の言いたかったことをすべて理解したではありませんか。そのように貴下も私の言いたいことを理解してほしいのです。
我々の目指すべき山頂即ち一切平等極楽世界は明白でしょう。そこに至る道を進まなければなりません。
 理想を持って進めば、道は必ず通じるはずです。政治家は理想を描き、一般大衆を導かねばならない。利他でなければならない。しかるに現在の政治家は自利ばかりである。
一般民衆は理想社会を実現しようとしているリーダーの邪魔をしないで自由に手腕を発揮させ、それに従っていればよいのです。阿弥陀如来の他力にすがることと同じである。自力他力の問題は、貴下と一晩じっくり話をしないと説明できません。
リーダーは、精神的な理念と経済的な利益とを同時に提供していかなければならない。さもなければ井上蔵相やロシア皇帝やレーニンのように暗殺されることになりかねません。
 スターリンは教育に力を入れ、同時に十か年計画で生産も確保しようとしている。即ち物心一致で進めようとしている。資本主義は遅れている。社会主義は科学的であるが、科学はまだ十分進歩していません。

 與一は差別のない、一切平等極楽世界が理想であると言っています。これを現実の世界で達成したいと考えていたようです。リーダーは利他の精神で民衆を導き、民衆はこのようなリーダーの邪魔をせず手腕を発揮させるべきであると言っています。
 この手紙でも仏教の言葉が多く使われています。1926(大正15)年の與一の言葉にある華厳経とは、このようなことを言いたかったのではないでしょうか。
 社会主義について好意的な記述もあります。ロシア革命は嘉南大圳工事半ばの1917(大正6)年に起きました。與一が現世で平等世界を実現したいと考えたのは社会主義の影響もあると推測されます。社会主義の大きな矛盾が露呈するのはかなり後のことで、当時の知識人が社会主義革命に大きな影響を受けたことは事実です。與一も関心をもっているようですが、しかしあくまで仏教の教えを信条として民衆の生活向上を実現しようとしていたと言えるようです。

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